今回は、文化財修復や、さまざまな刺繡作品の制作・販売他、衣装デザインも手がけている京都の刺繡工房「繍司長艸」3代目の長艸(ながくさ)真吾さんにシミックグループの企業カルチャー「W&3C」のワードのひとつ「Communication」についてお話しいただきました

あっかんべぇ 「あっかんべぇ」

京繡とは京都で作られている刺繡で、高度な技術と意匠により1本の針と多彩な糸(絹糸・漆糸・金糸・銀糸・金銀平箔糸)を使って絹織物・麻織物に模様を縫い表す装飾技法で、伝統工芸の一つです。中国から伝わった刺繡をベースに独自の進化を遂げ、安土桃山時代には能装束の発展に伴い、さまざまな技法が 一気に花開きました。おそらく、技法の数は世界で一番多いと思います。

僕はこのような伝統工芸を生業とする家に生まれましたが、もともとは家を継ぐ気は全くありませんでした。幼い頃から、何年もかけて作り上げた作品が売れず、在庫が積み上がっていく状況を目の当たりにしていたこともあります。その上、美しいものにたくさん触れてきたことで美への基準が高くなりすぎていて自分では到底作れないと思っていました。ですから、僕の父である長艸敏明のように作品を作るという発想を持ったことはありませんでした。父に追いつくために50年、60年と修行するという長い道のりは、自分にはとても歩めないと思っていたからです。



夜着「波に鳳凰」 夜着「波に鳳凰」


そんな僕の転機は、大学卒業間近に訪れました。母親が重い病気に罹ったので、家に帰り経営を手伝ってほしいとの連絡を受け、実家に帰ることになったのです。幸いなことに何のことはない良性の腫瘍だったので、すっかり騙されたと思いました(笑)。

これがきっかけとなって、この業界に足を踏み入れることになりました。まずやるべきことは経営の立て直し。従来の国内向けの販売だけではなく、海外展開しなければマーケットが広がらない。国内 では日常的なものでも海外の方にとってはアート作品になる、ということに気づいたのです。海外向けにブランド価値を付けて、価格も 上げました。作品の価値へ共感してくれる方が徐々に増え、何とかここ5年くらいで好転してきました。

 僕の父は職人ではなくアーティストだと思っています。お金にもならないのに黙々と作品を作る姿を子どもの頃は理解できませんでしたが、今になってようやく父が作品を作り続けていた気持ちがわかるようになりました。子どもの頃、お金にあれだけ苦しんだのに、気づけば父よりもお金を使っています(笑)。

 小さいときから父のことを『先生』と呼んでいた僕たちは、一般的な親子関係とは少し違うかもしれません。父が一人で作る作品に僕は一切関与しませんし、僕が相談しない限り、僕の作品に父も一切関与しないので、親子の会話はほぼありません。一緒に作品を作ることが親子の絆であり、僕らのコミュニケーションだと思っています。父が現役のうちは、自分は作家ではなく父のプロデューサーとして、一緒に作品を作っていきたいと今は考えています。

 作品を介したコミュニケーションは、僕と父の間に限ったものではありません。今、次の世代にこの伝統技術を残すためにアーカイブ化を進めているのですが、それも50年後、100年後に修復を行う人とのコミュニケーションと言えるかもしれません。技術という面では、AIとロボットが職人になる時代が来るかもしれないし、人間の手で作るものだけが伝統工芸だとは考えていません。これまでの技法がその時代の感覚や流行を取り入れて進化していき、それまで誰も見たことがなかった新たな作品が生まれることを期待しています。


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