俳優界の名門 田村家を背負い、未来につないでいく覚悟
特別対談 田村 幸士 × 中村 和男
シミックグループの企業カルチャー「W&3C」の4つのワードからテーマをひとつ選んでいただき、そのテーマについてお話しいただくコーナーです。今回は、京都の伝統工芸「京金網」。銅やステンレスの針金を六角の目に編み、美しい亀甲模様を描く金網細工の技術を使い、伝統の技を守りつつ、新たな商品を生み出し続けている金網つじ二代目の辻徹さんに、「Communication」の重要性についてお話しいただきました。
京金網は、平安時代に始まり、豆腐すくいや茶こしなど、京料理や和菓子づくりを支えてきた伝統工芸です。この手作りの金網細工は、美しさと強度を兼ね備えており、長く使えるのが大きな特徴です。僕の父親が設立した工房「金網つじ」は、料理道具を軸に、時代が変わっても古びることなく、現代の暮らしに溶け込む商品作りを目指して、制作から販売まで手がけています。現在では、職人が手作業で編み上げる京金網が国内外で高く評価され、さまざまなブランドや企業で使っていただく機会も増えましたが、僕が子どもの頃は手仕事よりも工業製品が主流。当時は下請けの立場だったので、一つひとつ丁寧に手づくりで作った品も安く売られており、家はいつも貧乏で、家業に対して良いイメージはありませんでした。
高校卒業後、流行のヒップホップ系の洋服屋さんを始めました。売上も好調で、店舗数も増やすことができたのですが、次第にすでにできたものを仕入れて売るという仕事に満足できなくなってきました。そんなときにジャマイカ人のレゲエシンガーJimmy Cliffの「Many Rivers To Cross」を聴いて衝撃を受け、「レゲエの本場・ジャマイカに行こう!」と店を畳んでジャマイカに行きました。20歳のときのことです。3週間の滞在で人生観がガラッと変わりました。正直、当時はアパレルの仕事もうまくいって天狗になっていたところもあったのですが、言葉もわからず知り合いもいない異国で自分の無力さを思い知りました。今だから言えるのですが、不安でしかたがなく1週間ほど毎晩1人で泣いていました(笑)。
帰国後、家業に対する感じ方も大きく変わりました。両親の姿をあらためて見て、実直にモノづくりをする姿勢、そして自分の手でものを生み出す仕事ってすごいなと、素直に思いました。でも、父親の代は売り上げの約9割を卸売が占める状態で、そこには疑問を抱きました。当時、主に料理や和菓子の店で使う道具を手掛けていて、そのほとんどを問屋に卸していました。しかし、あるとき、納めた品が雑に扱われるのを目にしてしまったのです。「一生懸命作ったものなのに。」という思いがこみ上げ、「自分で作ったものを自分で直接お客様に届けたい」というのが、僕の目指したい姿だと気づき、それを実現するために家業を継ぐ決意を固めました。
猛反対する両親をなんとか説得して、卸売をやめて直接取引に絞り、結果的には売り上げは大きく伸びました。他に比べて価格は高めかもしれませんが、僕たちの技術には絶対の自信がありました。だからこそ、その技術を追求すれば新たなステージに進めると確信していたのです。この選択が功を奏し、経営を立て直すことにも成功し、従業員も雇用できるようになりました。
金網つじでは、障害のある方や学歴がない人など、社会的に弱い立場にある人を積極的に雇用しているのですが、これは社会貢献とかそういうつもりではありません。ハンディキャップをマイナスではなく、個人の特性としてとらえています。例えば僕の場合、金網を編むという作業に何時間でも没頭することができ、気がつくと10時間ほどあっという間に過ぎています。この集中の感覚は、まるで座禅をしているかのように、心が落ち着くものです。
僕の職場では、仲間同士がお互いの得意不得意を共有しあっています。僕が苦手なことが、他のスタッフの得意なことかもしれません。互いの特性を認識し、それを補い合うことで、より良い仕事ができるのです。どの職業でもそうかもしれませんが、工芸の職人は特に、適性と性格に相関があるように思います。そこをうまく活かして、障害や不得意なことがあっても、うまく働ける環境を作りたいというのが、僕の今の目標です。伝統工芸とは、言い換えれば地場産業です。「金網つじがあって良かったね」と地元の人たちに言ってもらえるように、多様な人たちがつながりあいながら、良いものを作り続けていきたいです。