シミックグループの企業カルチャー「W&3C」の4つのワードからテーマをひとつ選んでいただき、お話しいただくコーナーです。今回は、「Change」をテーマに、1875年創業の老舗茶筒メーカー開化堂の6代目、八木隆裕さんにお話を伺いました。

開化堂の茶筒は、100年以上前から同じ製法で一つ一つ手作りしています。創業当時から同じサイズで作り続け、直径も高さも全く変えていません。毎日、手のひらで筒全体を丁寧になでていただければ、使い始めて数日から数週間で変化が現れ、時を追うごとに色合いが変化し、味のある光沢やツヤが出てきます。それは使う人とともに過ごした年月の積み重ねであり、その人の日々の暮らしを映し出す鏡のようなものと言えるかもしれません。

時間をかけて生み出される美しさ。それは、使う人やその家族の歴史を物語っています。親子何代にもわたって使い続けてくださるご家庭も多く、6代目の僕が、3代目が作った100年前の茶筒の修理をお受けすることもあります。僕らも100年先を見据えて変えずに作ることを使命だと思っています。とはいえ、同じことをただ繰り返すだけではなく、新しい素材を試したり、珈琲缶やパスタ缶など、これまではなかった商品も生み出していきたいと思っています。

僕は大学で英語を学んだ後、海外からの観光客向けにお土産を販売する会社に就職して営業の仕事に就きました。そのときに、アメリカから来られたお客さんが開化堂の茶筒を買ってくださったのがこの道へ進むきっかけになりました。実は18歳のとき、アメリカ人へのお土産として開化堂の茶筒を渡した際に「ありがとう」とだけ言われて5秒で片づけられた経験があり、アメリカ人にはうちの缶の価値はわからないという印象を持っていたのです。驚いて思わず 「なんで買うの?」と尋ねると「キッチンで使う」と答えたのです。

アメリカ人が家のキッチンで使うなら、世界中にキッチンはあるので「世界で通用するのでは」とひらめきました。その思いが膨らんで、父に「家を継いで、世界中で開化堂の商品を売りたい」と伝えて、25歳のときに家に戻りました。父は反対しませんでしたが、「わしは親父に言われて継ぐことになったが、お前は自分で決めた。自分で言いだしたんやから、自分で責任とれよ」と言われました。覚悟を問われたのだと思います。

家に戻ってしばらくは、父に「見て覚えろ」と言われながら修行の毎日でした。自分の意見が言えるようになるのは一人前になってからだと思い、その中で見えてくることがあるはずとひたすら腕を磨きました。

活動の場を世界に広げる転機となったのはイギリスからの1通のメールでした。インテリアショップに置いていただいていた開化堂の茶筒がPostcard Teasというお茶専門店の方の目にとまり、ぜひ店で扱いたいという連絡だったのです。すぐさま、なけなしの金で航空チケットを買い、ロンドンに向かいました。現地で色々なデザイナーの方と出会ったことで、視界が一気に開け、そこから世界で開化堂を知ってもらえるようになっていきました。父からは「職人と商売人、両方やらなあかんで」と言われていま した。家にいるときは職人、一歩外に出たら商売人としてコミュニケーションをとらなくてはいけないのだと。

伝統工芸は多くの人たちの目に晒されながら現代まで残ってきたという価値があります。しかし、その価値は「新鮮味がない」という印象と表裏一体で、お金を出して買っていただきにくいという問題があります。工芸が続いていくためには、『変わらないまま変えていくこと』が大切です。そして、工芸品そのものの魅力だけでなく、その背景にある歴史や職人の精神性などを伝えることも必要ではないかと考えています。

使っていただく人に職人や工芸の感覚を体感していただく方法はないかと考え、Kaikado Caféを開くことにしました。ここではポットやカップなど、さまざまな伝統工芸品を使用しています。実際に手に取り、使い心地を感じていただくことで、見ための美しさだけでなく、新たな魅力を知っていただきたいのです。ひいては工芸に対する意識も変わっていくのではと期待しています。これまで先代たちが守り続けてきたものをしっかり受け継ぎながら、そこに僕は「楽しい」を加えて変えていけたらと思っています。

HOSOO Kaikado Café


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