シミックグループの企業カルチャー「W&3C」の4つのワードからテーマをひとつ選んでいただき、そのテーマについてお話しいただくコーナーです。今回は、今から約400年前の慶長年間から続く陶器の老舗、朝日焼の十六世 松林豊斎さんに、「Change」についてお話しいただきました。

千利休の「侘び・寂び」は、ものや自然のありのままの姿の中に趣や奥深さを見出す、ある意味不完全な美を良しとする精神として、今も広く知られています。それに対して、江戸時代初期の茶人である小堀遠州は「綺麗寂び」という新たな精神を打ち立てました。「綺麗寂び」は、枯れた風情や渋みなどを良しとする「寂び」の中にも華やかさや上品さのある趣、風情をさします。そこが朝日焼の美意識の軸になっています。

私が生み出す茶器の中には、江戸時代初期に作られたような伝統的な朝日焼とは一見かけ離れたものもあります。しかしそれは、現代的な「綺麗寂び」を私なりに追求した作品なのです。たとえば、月白釉の淡いブルーは「綺麗」を、荒土が「寂び」を象徴し、その間を白化粧がつなぐことで朝日焼の精神ともいえる「綺麗」と「寂び」のコントラストを表現しています。

この作風が生まれたのは海外渡航が増えたことがきっかけでした。開窯当時の作品は、日本の茶室の優しい光の中で見ることが前提で生まれてきた焼き物なので、海外の光の中だと色が弱すぎるのです。たとえばヨーロッパなどの石造りの薄暗い環境では人工的な照明に照らされますので、もっと強い色を使わないと調和できません。これまでのやり方を踏襲するだけでなく、それぞれの土地や環境に合わせた「綺麗寂び」を追求していくことが求められます。歴代当主の作品を並べてみると、朝日焼の歴史は、それぞれの時代に合わせた「綺麗寂び」を追求してきた軌跡だと実感します。

歴史を振り返ってみたときに世代を超えて共通している要素を伝統と呼ぶのであって、歴代当主とは異なる私の作風が朝日焼の新たな伝統になるのか、単に十六世の気まぐれで終わるのかは、次世代に委ねられることだと考えています。形を変えたとしても、朝日焼自体は今後も連綿と続いていくでしょう。日本は伝統的なものを受け継いでいくことが当たり前という認識が強いように思います。3世代後も4世代後も続いていくだろうとみんなが思っているし、そういった期待を背負いながら繋がれているのです。

孫の代まで今の文化が受け継がれていくというイメージを持てるのは、世界的に見るとすごく珍しいことかもしれません。たとえば、政権が変わる度に全てが白紙になるような国や変化が著しい国では、先のことは何もわからないという意識が根幹に置かれるでしょう。
しかし日本人は、文化の永続性を無意識下で信じています。その理由のひとつは、昔ながらの生活スタイルが現代でも身近に存在していることだと思います。そのような意味で、京都は本当に特別な土地です。世界中にいろいろな観光都市があり、歴史ある街並みが残っているところもありますが、昔のままの習俗が残り、伝統的な生活を送る人々が普通に暮らしている場所というのはほとんどありません。

また、京都で生まれ育ち、伝統を受け継いだ身として感じるのは、内の目と外の目、両方の重要性です。京都の人はみな矜持を持って暮らしており、京都の者としてふさわしいかどうか常に周囲から見られています。矜持に背くような行動はとれません。一方で、全てを守っていくことはできないので、時代に合わせ変化させていく必要もあります。そのようなときには外の目も必要です。京都は排他的な土地だと思われがちですが、地域外から来た人や戻ってきた人を受け入れる懐の深さがあります。

私自身も大学卒業後は一般企業に一度就職し、外の目を持ち帰って家業を継ぎました。一度外の世界に出たことで、これまでの見え方や感じ方が変わり、変えるべきところと変えるべきでないところのバランスをとる手助けになりました。 今後は、伝統工芸に実際に触れて良さを感じていただく場や、職人たちがどのような思いで伝統工芸に向き合っているのかを伝える場を設けていきたいと考えています。最近は世界中でお茶に興味を持つ方が増えているので、茶器を通じて日本のお茶文化をアウトプットして、世界のお茶文化をより豊かなものにしたいと思っています。


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