昨今、これまでの株主至上主義が見直され、すべてのステークホルダーに配慮して経営を行う方向に転換すべきという意識が高まっています。この新しい時代の流れの中で、シミックHDも2023年11月7日にMBO実施を発表し、非上場化して構造改革を行う方針を打ち出しました。これまでの「株主中心」という経営判断の指針が揺らぐ今、組織として、個人として、私たちが真に大事にすべきものは何でしょうか。日本産業推進機構(NSSK)代表取締役の津坂純さんに、中村CEOがお話を伺いました。



アメリカンスクールからハーバード大学へ

中村
はじめに津坂さんのこれまでの歩みを簡単に教えていただけますか。

津坂
私は東京生まれで、高校生のときは父の仕事の都合でフィリピンのアメリカンスクールへ通っていました。学校で見かけたボロボロのハーバード大学の資料に惹かれ、願書を出したら奇跡的に合格できました(笑)。周囲からは「アメリカの大学へ行ったら日本で就職できないよ」と言われることもありましたが、「せっかく受かったのだから」と家族も後押ししてくれて進学しました。

確かに日本とアメリカでは卒業時期が異なるので日本企業に就職するのは難しく、卒業後はニューヨークのメリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ)という証券会社に就職しました。ただ、今振り返っても厚かましい話なのですが、入社時に「日本に帰りたいので、日本に行かせてくれるなら」という条件で採用していただきました。そこで出会ったのが、現在、NSSKの副会長を務める石田昭夫さんです。

中村
石田さんには私も弊社上場の際に本当にお世話になりました。みんなつながっていることを実感します。

津坂
石田さんは私の初めてのボスで、今もビジネスパートナーです。

就職した後、石田さんを介して何度か、日本企業のトップの方々とやりとりする機会に恵まれました。その中で、自分はやはり実務の仕事がしたいと思うようになり、またアメリカに戻ってハーバード・ビジネス・スクールへ入学しました。

中村
それは何歳のときですか?

津坂
25歳で入学して、卒業したときは27歳でした。卒業後、本当は起業したかったのですがそもそも会社の価値とか何が評価されているのか、企業の経営とはなど基本的なことが分からないまま会社を立ち上げるのも不安だったので、ゴールドマン・サックスという別の証券会社に就職しました。

異質の中で磨かれたアイデンティティ

中村
ゴールドマン・サックスも勤務地は日本だったのですか?

津坂
ニューヨークです。結局、日本に帰ってきたのは2006年のことで、18年間もニューヨークで過ごすことになりました。当時はアメリカの仕事しかしていませんでしたので、日本に帰ってきたときは本当に浦島太郎状態でした(笑)。バブル崩壊後の「失われた20年」についても何も知らず、「日本のテレビドラマでも見て日本のことを勉強しなさいよ」と言われ、当時のドラマを見て「こんなことが起こっていたのだな」と知りました。

中村
日本のバブル崩壊前後はアメリカにいらしたんですね。それは本当にものすごいギャップだったと思います。

津坂
日本から離れている期間が長くなるほど、自分のアイデンティティは日本にあると、より強く感じるようになりました。あらゆる人種が集まるニューヨークのような街だと余計にそうだと思います。大学時代は、同級生たちに日本のことを知ってもらうために日本文化クラブを立ち上げました。日本人として、日本の考え方や文化を共有する義務があると感じたのです。そういう意味では、アメリカへ行ったことで初めて日本人になれた気がします。

中村
津坂さんも僕の子どもたちも日本の学校ではなくインターナショナルスクールに通っていたので、多くの日本人とは異なる環境下で育ち、葛藤や苦しみもあったと思うのですが、かえってそれが人間形成という面ではよかったのかもしれないと感じています。僕自身も、子どもを通じて多くのことを学びました。

子どもたちは、たとえば英語で話していても「これは日本語じゃないと伝わらないな」という箇所は日本語で伝えるなど、日本語と英語を混ぜて話すことがあり、とても興味深く見ています。自分の意図が一番よく伝わるようにアレンジしてしまう。すごいコミュニケーション能力だなと感心します。

津坂
言語以上にコミュニケーション能力は重要です。お子さんたちは異質な環境で育ったがゆえの、他者と分かち合うための貴重なスキルを持っているのだと思います。

Work hard, play hard

中村
津坂さんは2014年、石田さんたちとともにNSSKを立ち上げられました。理想としたのはどのような組織でしょうか。

津坂
投資を通じて日本の会社がさらに成長できるような基盤づくりをお手伝いさせていただくのが私たちの夢です。そのために大事なことは「Work hard, play hard(よく働き、よく遊べ)」という信念。仕事だけじゃなくて、遊びも組み合わせることで素晴らしい成果が生まれると信じています。この価値観を共有できる仲間を増やし、日本社会への貢献を目指して立ち上げました。

中村
一般企業だと定年退職されているようなご年齢の方も、若い方も、御社ではみなさんすごく生き生きと働いていますよね。津坂さんの考えが会社全体に広がっているのが伝わり、それが羨ましいと感じました。

津坂
私が会社として大事にしている概念が三つあります。まずは、大家族主義。規模がどれほど大きくなっても、私たちはまるで一つの家族のように互いを愛し、ときには叱り、必要なときは手を差し伸べる姿勢を大切にしています。つまり「絶対守るぞ」という覚悟です。

二つ目は公平さ。何歳であっても、みんな同じ人間で一生懸命に働いているのだから、お互い敬意を払い、尊重し合おうよと。年齢や役職に関係なく、公正な評価が行われる環境を整備し、公平さの確保に注力しています。

最後は、本当に難しい判断を求められたときのための「人として正しいことをやっているかどうか」という判断基準です。人として正しいかというのはシンプルで明確です。本当に悩んでしまうときこそ大切な価値観です。そして、1人が間違えても、1人だけの問題でありません。家族である以上、失敗も成功も全員の経験となります。このような価値観を組織全体に広がる文化として築くことを目指しています。

中村
僕も大家族主義は素晴らしいと思うのですが、なかなか難しい。NSSK流の、今お話しいただいたような考え方を浸透させるためにどうされていますか。

津坂
さまざまな研修などの機会を大切にし、自ら積極的に情報をシェアすることで「NSSKってこういう会社なんだ」という印象を伝えるように努めています。

難しいと感じているのは、私たちが投資家であるため、投資を受ける側から見れば「いつか株が売られたら終わり」という発想になりやすいことです。しかし、私たちとしては単なる株式の売り買いだけの関係性ではなくて、NSSKグループの一員として、ずっと家族としてつながっていくことを大切にしています。ある意味では、株式の売買が終了しても卒業生として関係はずっと続きますから。

中村
人と人とのつながりを大切にする姿勢から温かさと愛を感じます。津坂さんの考え方で特に感銘を受けたのは、女性の活躍を投資の指標として推進されている点です。

津坂
NSSKグループでは約2万人の従業員のうち、女性が7割を占めています。女性の管理職は3割に上り、驚くべきことにCEO、COOのポジションに女性が3割占めています。これらの女性リーダーの尽力により、素晴らしい業績を上げ、それが私たち投資家にとっても好成績につながっています。女性のエンパワーメントが直接結果に影響し、これが私たちの投資テーマの大きな一翼を担っています。

従業員が笑顔で未来を楽しめるように

中村
かつては、企業は株主の利益を最優先に考えるべきだとされていましたが、最近ではすべてのステークホルダーにとって長期的な価値を生み出し、直面する課題の解決に取り組むことに焦点を絞ることが重要視され、企業と社会が共に豊かになるという考え方が広まってきたと感じています。

津坂
私自身、もし10年前に会社経営で一番大事なものは何かと訊かれたら「株主」と答えていたと思います。しかし、今は迷わず「従業員」と答えます。やっぱり従業員自身が幸せじゃないと、よいサービス、商品を提供できません。だから従業員の幸せを保証することは株主やオーナーの責任だと思うようになりました。

では幸せとは一体何なのか。職場環境やさまざまな条件をよくすることはもちろんですが、何よりも大事なのは、今日より明日がよくなると思える、将来に明るい希望が持てるということだと考えています。何を重視するのかは人それぞれですが、今年よりも来年のほうがよくなると思えれば燃えますよね。そのためには一人ひとりのキャリアパスを細かく設計することが大事だと思います。

中村
まずは現状認識が一番大変ですよね。僕らの会社には従業員が約6,500人いて、年齢も置かれた状況もみな違うのですが、「IKIGAI」を軸にしてキャリアパスを描いてもらえるようにしたいと考えています。デジタル技術や人工知能の急速な進化により、これまでの仕事や人間の存在意義が脅かされる時代が訪れています。この厳しい時代を乗り越えるには、人間としての存在意義と魅力を高めていくことが大切です。

津坂
そうですね。アメリカでは、どんなアイデアも歓迎され、本当に発想が自由でした。箱の中にとらわれず、常に箱の外のことを考えろという「Out-of-the-Box」、この発想がとにかく重視されます。自分の思いを率直に伝え、互いの意見を出し合うことでより素晴らしいものが生まれるのではないでしょうか。

中村
僕も常に既成の枠にとらわれない考え方で課題や問いを生み出し、広い視野で物事を考え、その解決策をデザインすることを心がけています。この考え方はビジネスだけでなく自分の人生にもプラスの影響を与えてくれることでしょう。

「IKIGAI」を組織にも導入を

中村
さっき教えてくださったような会社として大事にしている理念の部分と、KPIのような数字を求められる部分のバランスはどのようにとっていますか。

津坂
KPIは目的が明確で、その目的に対する進捗を測るものとして必要ですが、やはりそれだけではないですよね。私たちはハードウェア、ソフトウェアに投資しますが、もう一つ投資するものがあります。それは「ハート」ウェアです。従業員のハートの部分をカバーする発想や、そうした発想に基づいた制度設計がとても大事です。

中村さんたちが掲げられている「I KI GAI 」というのは非常に深い言葉です。たとえば私にとっては、相手が幸せになって笑顔になってくれることが、自分の幸せ、IKI GAIと言えます。会社という組織にとっても、IKIGAIという概念を導入することは重要だと思います。大家族主義も、IKI GAIという概念があって初めて生まれてくるものです。

中村
ヘルスケア、特に個人のヘルスバリューについて、病気を治す、予防するだけではなくて、病気の有無にかかわらず、その人らしく人生を全うするIKIGAIこそが大事だと考えたときに、僕たちがやるべきことは無限にあります。

そういう中で従業員が幸せになって、かつ事業としても継続できるようにするためにはどうすべきかを僕なりに考えた結果、一度非上場化して整理しようと考えました。津坂さんの目にはどう映りましたか。

津坂
本当に大きな決断だと思います。上場というのは、知名度向上などほかにもプラスの面がありますけど、究極的には、資金調達の一つの手段に過ぎません。上場には制約も付きものですし、事業のライフステージによっては、それが成長の足枷になってしまうときもあります。資金が確保できるのであれば、株式非公開化は選択の一つとしてよいと思います。

一方、シミックの子会社の中には、市場からお金を調達してさらなる成長が必要な会社もあると思っています。その場合には上場するべきというのが私の考えです。ちょうどよいタイミングで、ふさわしい部門がまた新たに上場する可能性があるのではないかと想像しています。

中村
事業の性質やライフステージによって、ファンドの方と組んで成長させていくのか、ビジネスパートナーの会社とやるのか、また新たに上場させるのかといったたくさんのオプションを選択していく時期に突入したのかなと、僕としては思っています。ヘルスケア分野にはいろいろな可能性があります。すぐに成果が出ないことも事実ですが、またこれからもぜひご協力をお願いしたいと思っています。

まずは知識を吸収し、自分を知ることから

中村
最後に若い方に対するメッセージをいただけますか。

津坂
 とにかく好奇心旺盛に、人でもモノでも何でも知ろうとすることが大事だと思います。あらゆる知恵や知識をスポンジのように吸収して、そうすることで初めて自分を知ることができます。自分を知ったら、今度は周りの人たちにその知識、知恵、気持ち、感動をシェアしてください。周りの人が幸せになれば自分も幸せになります。その気持ちは本当に真っ直ぐに伝わっていくと思います。あとは、やっぱり夢を持つこと。どうせなら夢を達成したほうが人生は楽しいですよね。

中村
自分の状況や年齢を理由に、夢を持たない人や諦める人も多いかもしれません。しかし、仮に道半ばで倒れたとしても、よいことをやっていけば志を継いでくれる人が必ず出てくると思います。自分に制限をかけずにまずは挑戦して欲しいですね。思っている以上に、未知の可能性が広がっていると思うのです。まさに津坂さんがおっしゃる「Out-of-the-Box」の発想が求められていると感じます。今日はありがとうございました。





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