リモートワークの普及など、働き方の転換期にある今、個人としての生きがいや自己実現と、組織としてのミッションのベクトルをどう合わせていくかが 改めて大きな課題として浮き上がっています。組織として、個人として、追求すべき本質は一体どこにあるのでしょうか。2000年代にはSNSのミクシィ、2010年代にはフリマアプリのメルカリに参画し、日本のインターネット業界を牽引してきた小泉文明さんに、中村CEOがお話を伺いました。



中村
小泉さんと言えばメルカリ急成長の立役者として、皆さんよくご存じかと思います。実は恥ずかしながら、僕は小泉さんと知り合うまでメルカリのようなフリマアプリのサービスが現在ここまで普及していることを知りませんでした。ゲームチェンジャーとして、これまでにない新しいサービスを立ち上げた小泉さんにお話を伺えるのを大変楽しみにしていました。小泉さんは山梨のご出身ですよね。

小泉
はい。1980年にこの北杜※1で生まれ、野原を駆け回って育ちました。以前、ある脳科学者の方に、子ども時代に野原で遊んでいた経験が僕のクリエイティビティの原点だと言われたことがありました。子ども時代に自然という圧倒的な「本物」から学ぶという姿勢や習慣を身につけられたことは、今の僕の生き方に大きな影響を与えたのは確かだと思います。

※1 取材は山梨県北杜市の中村キース・ヘリング美術館で行いました

中村
自然の中で育った小泉さんがどのようにインターネットの世界と関わるようになったのですか?

小泉
はじめてパソコンに出会ったのは中学1年生のときです。当時としては珍しく、学校のコンピュータ室にMacがたくさん備えてあったこともあり、グラフィックを描くところから始まって、そのうちゲームをつくるなどしていました。かといってオタクというわけでもなく、サッカー部のキャプテンもしていました。

中村
パソコンオタク一直線とならなかったところが、また面白いですね。

小泉
ファッションが好きだったので、自然とインターネットとファッションを結びつける方向にいきました。当時はナイキの「エアマックス95」がブームで、スニーカーが定価の10倍以上の価格まで高騰し、社会現象となりました。モノの価値が変わっていく様子を目の当たりにしたことで、需要と供給のバランスが釣り合わないところに商機が生まれるということを知り、大変興味がわきました。それで、高校生になるころにちょうど普及し始めたインターネットを使い、ファッション好きが集まるインターネット上のコミュニティで、原宿で仕入れた物を売るという販売代行のようなことを始めました。いずれインターネットで会社をつくりたいと思うようになったのはそれがきっかけだったのかもしれません。

志が使命に変わるフェーズが一番楽しい

中村
新しいサービスを普及させるには、いろいろと困難があったと思いますが。

小泉
ミクシィもメルカリも、最初はネガティブな反応が多かったのも事実です。でも僕はいずれ多くの人が絶対使ってくれると信じていました。事業が大きくなっていくと、創業のときに抱いていた志が「自分たちがやらなければ」という使命に変わっていくフェーズがあり、その フェーズが一番楽しいと、僕は思っています。

中村
僕もそうでしたが、創業当時、人を集めるのには苦労されたのではないですか?

小泉
最初はひたすら自分の思いを語って、1人ずつ口説いていきました。Twitterで声を掛けることもしました。ネット上のナンパですね(笑)。そうやって少しずつ仲間を増やしていきました。事業が順調に進んでくるごとに僕らの言っていたことが絵空事じゃないと少しずつ証明されて、徐々に輪が大きくなっていった感じです。

求められるのはスペシャリスト型のとがった人材

中村
僕も創業当時は、マンションの1室から始めましたので、人集めには苦労しました。働き盛りの若い男性はなかなか見向きもしてくれず、当時支えてくれたのは女性や定年後の方が中心でした。今思うと最初からダイバーシティだったわけです。ところが、そんな中にときどき、天才的な変人が入ってくるんです。こうした方に助けられましたね。

小泉
僕らも2000年代にミクシィをつくった当時は、まだIT業界に全然人が来てくれない状況でしたが、そんな中で来てくれた子が、のちにキーマンとなりました。彼は高校時代に独学でプログラミングを学んで、19歳ぐらいのときに急にオフィスに「入れてくれ」とやって来たんです。そこからぐんぐん頭角をあらわし、6年後には開発責任者になりました。会社が大きくなると彼のような人材を受け入れるのは、正直難しいかなと思います。ベンチャーフェーズだからできたことだったのかもしれません。

中村
わかります。会社が発展途中の段階だからこそできたことですね。ユニークで天才的な人は素晴らしいエネルギーを持って いる一方で、チームとしてまとめるときは大変なんですよね。

小泉
メルカリのチームも昔は、とがっているけど何かが欠落しているようなメンバーが多く、どうやってまとめ上げれば良いか、とても頭を悩ませました。しかし最近は、逆にもっと、とがってほしいと思うときもあります。「俺は絶対ここで一番になってやるぜ」というメンバーがいたほうが、何かあったときに突破力が高いんじゃないかなと。

中村
日本経済の停滞が続き、戦争やコロナがあったりと、今は複雑で難しい時代です。そんな今こそ、突破口を開いてくれるような人材が求められていると思います。

理想実現に向けてデファクトスタンダードを取りたい

中村
IT業界はデファクトスタンダード※2を取ることが最も重要とされます。ヘルスケア業界の僕にはイメージがわきにくいのですが、どういう意識で経営に当たっているのでしょうか。

※2 市場における企業間の競争によって、業界の標準として認められるようになった規格のこと。事実上の標準。

小泉
 IT業界は勝者がすべてを取ってしまう「winner takes all」という言葉があり、常に危機意識があります。最初は群雄割拠でも、一番パワーを持っているところにどんどんヒトやモノ、情報が集まってくるので、圧倒的な1位がつくられてしまう。メルカリは創業から1年半でトータル43億円の資金調達をしました。コスト先行型でとにかく良いものをつくって、プロモーションして、お客さまを集めなければなりません。1位を取れなければ仲間たちを養えなくなるという恐怖心の中で必死にもがいていました。好きなお酒も断って、毎日朝方まで働いていました。勝ち抜けることができたらいくらでもお酒を飲めるのだと、自分に言い聞かせながら。デファクトを取れたと確信できたときは喜びより安心したというのが本音です。参入当初は20社ほどいた競合が最後は1、2社しか残っていませんでした。

中村
僕らの業界とは全く違いますね。新薬の開発やサイエンスの世界では一人勝ちするという発想はありません。一つの新薬を開発するのに10年以上かかりますので、忍耐力が必要になります。そのため研究の停滞を防ぐには、必ず分散しておかなければいけない。あえて競合をつくらないといけないのです。ですからバイオベンチャーがどんどん出てきますし、新陳代謝して多様性を保つという意識が、僕のベースにあります。ですが、僕らも今、電子お薬手帳を基盤としたヘルスケアコミュニケーションチャネルharmoというものをつくっていて、デファクトを取らなきゃいけないという状況にあるんです。これが僕のマインドと全く違って弱いところなので、若い連中に頑張ってもらっています。

小泉
一見、中村さんと僕らでは真逆なようですが、社会を良くしたいという思いは同じで、アプローチが違うだけなのかなと思います。一つのサービスに集約されたほうが対社会においては利便性が上がるのは事実ですし、メルカリが考える物を捨てない世界をつくるという理想のためには、デファクトを取ったほうが良いという側面があるのかなと。

中村
みんなが望むものを汲み取り、エコシステムをつくり上げることで社会を良くしていくという小泉さんのアプローチは、本当に素晴らしいです。

大事なのは現場の肌感覚を持ち続けること

中村
医薬業界では、良い薬ができると即座に世界中に広まるので、国際競争から逃れられないという恐怖心が常にあります。

小泉
実は僕も一度、そういう意味で挫折を経験しました。ミクシィは、ある意味閉じられたガラケー時代の日本の中ではデファクトを取れたんですが、スマートフォンの台頭にしたがい、徐々にTwitterやFacebookに駆逐されていった感覚があります。メルカリではその反省を踏まえ、競争相手は世界になること、ワンプラットフォームの世界に出ていくことを強く意識し、アメリカにも進出しました。

中村
会社がある程度大きくなると、国内だけでも十分利益があるわけです。そうすると国内の基盤強化を優先してしまい国際化が遅れてしまう傾向がみられます。そしてその段階で国際化というとアメリカの会社を買うという発想になってしまう。だけど、そうじゃないだろうと思っています。国際化についてはどのように考えていますか。

小泉
僕らも、投資家から海外の競合会社を買収するよう提案されることがありますが、どういうカスタマーがいて、どういう商慣習があるのかといった肌感覚が分からないと、正しい経営をしているかどうか判断できません。まずは自分たちで飛び込んで経営してみて、 その過程でM&Aがふさわしいと判断すればそうするべきですが、デューデリ※3の資料だけ見て決断するというのは、僕は納得いきません。まずは自ら飛び込んで、その中で学んで、一歩ずつ策を練るということをしていきたいと思っています。

※3 企業の経営・財務状況の事前調査

中村
現場の感覚を持たない人間が何を言っても、説得力がないんですね。今こそ現場を知るべきです。

ミッションドリブンな会社であり続けたい

中村
働き方の転換期を迎える今、企業として最低限ここだけは外せないというポイントを、従業員一人ひとりと共有することがますます重要になっています。

小泉
僕もいつも口が酸っぱくなるほど自分たちのミッションについて話しています。何のための会社で、どういう未来をつくりたいのか。ミッションドリブンな会社でありたいと思いますし、それがあったので短期間で成長できたという自負もあります。実はちょうど今、来年の創業10周年のタイミングに合わせてミッションをつくり直している最中で、本質的に追わなければいけないものは何か、改めて議論しています。

中村
僕らもただ病気を治すだけでなく、すべての人が自分らしく生きられる社会を実現するためには何ができるのかという視点で考えるように心がけ、その想いをCREED※4に込めました。シミックでは全社員が誰でも入れる朝会と称した場を設けており、自分たちのあるべき姿を再認識し、勇気を持って挑戦していこうということをいつも言っています。

※4 CMIC’s CREED : 2016年に制定したシミックグループの企業理念

小泉
働く人や生活する人たちの人生をもっと豊かにするため、もっと循環型社会を実現させるために、アプリを飛び出ないといけないフェーズに入ったと感じています。会社の成長に合わせて、社会との向き合い方を都度考え直すことは、とても大事だと思います。

思いの強さで未来をこじあけよう

中村
一人ひとりが自分なりの人生を全うすることに焦点を置いたとき、必要となるのは、まず生きがい。そして、respect each otherの精神です。自分の価値観を他人に押し付けるのではなく、他人を尊重することで、世の中はもっと良くなるし、テクノロジーも生きてくる。

小泉
多様性の議論では、性別など表面的な多様性ばかり取り沙汰されますが、もっとハートの部分の多様性に注目したいですよね。

中村
多様性の本質は自分の中にあります。どれだけチャレンジングで、相手を受け入れる力を持てるかが鍵になると思います。

小泉
僕は、ダイバーシティ&インクルージョンとは、一人ひとりに居場所があって自分自身を表現できて、自己実現と会社のミッションのベクトルが合うということだと思っています。これは会社だけではなく社会もそうあるべきだと思っています。

中村
しかし最近は、他人と異なる意見を言うと叩かれたりする、おかしな社会になってきています。さまざまな意見を言い合える社会にしていかなければ、ビジネスもおかしくなりますし、楽しさも失われてしまいます。それが本来のダイバーシティです。

小泉
さまざまな意見がある中で自分の意見を持つことの重要性はますます高まっていると感じています。特に感じるのは、若い人ほどSNSに慣れている一方、ネット上で叩かれた経験を持っている人も多く、相手と異なる考えを表明することを恐れて、コミュニケーションを窮屈に捉える傾向にあります。

中村
若い人や、起業を考える人に何かアドバイスはありますか。

小泉
まずは、自分の意志を強く持つことです。中村さんも僕も、思いの強さで未来をこじあけていったわけじゃないですか。今みたいに混沌とした時代だと先が見えず、恐れが強くなるので、自分を信じて、楽観的なくらいでいいと僕は思っています。意志を強く持てる何かを見つけることが、まずは一番大事かなと思っています。

中村
本日はありがとうございました。




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