目の前の結果ばかりを追い求める昨今の風潮は、皮肉なことに日本社会全体の閉塞感にもつながっています。 あらゆるものがアナログからデジタルに移行し、従来の手法が通用しなくなっていく今、活路を見いだすためには何が必要なのでしょうか。デジタルコンテンツ配信システム『テイクアウトライブ』の考案など、歌手という枠組みを超えて幅広く活躍する野口五郎さんに、そのアイデアの源泉やこれまでの歩みについて中村CEOが伺いました。

※この対談は2020年3月31日に行われたものです。



結果を追わない

中村 野口さんは歌手という枠組みを超えて幅広く活躍されていらっしゃいますが、実は僕にとってはゴルフの師匠でもあります。ゴルフ歴は45年以上になりますが、全然上達しなくて苦しんでいた時に、野口さんからある一言をいただいたことで、スッとうまくいくようになったので、本当に驚きました。

野口中村さんは、お仕事に関してはきっとそうではないでしょうに、ゴルフに関してだけは、なぜか結果だけを追っているように思ったのです。そこで「飛ばすのではなくて飛んでしまっているものなんですよ」とお声かけさせていただきました。もっと力を抜いてグリップを柔らかく握ってとティーチングしただけで、はるか遠くまで飛ぶようになったので僕自身も驚きました。

中村おっしゃる通り、ほかでは結果だけを追わないようにしているのに、なぜかゴルフでは結果を追っていたんですね。野口さんは一目でそこに気付かれました。

野口ゴルフに限らず、物事はすべて、結果を追うのではなく、結果としてそうなったというのが大事だと思います。極端な話ですが、死ぬ瞬間に「やりたいことはすべてやりきった」と思う人なんていなくて、皆さん、志半ばで亡くなっていくのではないでしょうか。その中で大事なことは、やはり夢があるかどうかだと思います。夢に突き動かされて、その方向に自分が押し流されていくのが心地良いというか。

中村僕も自分の「据わりのいいところ」を求めているうちに、自然と今の形になっていたのでよくわかります。「据わりのいいところ」というのは、決して楽なところという意味ではありません。時には歯を食いしばってでも行かざるを得ない、そこに自分がいることが自然だと感じられる場所だと思います。

飽くなき情熱に突き動かされて、日本初の試みを次々と

野口今年でデビューして49年目になりますが、勢いのままに突っ走ってきたように思います。振り返ってみれば、日本では初めての取り組みが多かったかもしれません。例えば、当時は地方でコンサートをする場合、バックバンドから照明機器に至るまで現地で調達し、その場で合わせて演奏するのが当たり前でした。しかし、それでは本当に良いものを観ていただくことはできません。そこで、照明・音響など機材からバンドまで、すべてを一つのパッケージにして地方公演を行うようにしました。レコーディングに関しても、デビュー当時は歌と演奏を同時に収録する同時録音か、カラオケを聴きな がら歌う2チャンネル録音かのどちらかでした。それから1年も経たないうちにレコード会社に16チャンネルのマルチトラックレコーダーが入りました。それを見てこれからはライブの時代だと確信し、そのレコーダーを外に持ち出してライブレコーディングを始めました。当時はまだ16歳の子供だったのですが、きっと大人たちは「なんて生意気なガキだ」と思っていたことでしょう。会社に入ってきたばかりの宝物であるレコーダーを、故郷の岐阜まで持って行ったりしていたのですから。

中村その精神が今につながって、いろいろなアイデアが出てくるのですね。

野口そうですね。マルチレコーディングの導入は本当に影響が大きいものでした。楽器の音がよく聴こえるようになったので、スタジオミュージシャンの質が重視されるようになりました。その結果、スタジオミュージシャンのレベルがどんどん上がり、コンサートにも彼らに同行してもらうようになりました。僕のコンサートがある週末は東京でレコーディングができなくなったと、当時は苦情も随分いただきました。

中村普通だったら許されないような環境ですね。

野口海外レコーディングも16~17歳のころから始めていました。キャスティングも自分で決めて。当時は1ドル300円近かった時代ですから、経費節約のために一番安い飛行機で往復していました。

中村今の若い子ですと、挑戦する前からあきらめムードということも多いのですが。新しいことを始める時は障壁をどのように乗り越えていかれたのですか。

野口若かったので、とにかく夢を、やりたいことだけを必死に訴えました。子どもながらに海外レコーディングはグローバル化の第一歩だと感じていたのでしょうね。そして周囲の大人たちも、僕が言っていることは正解かもしれないとどこかで思ってくれていたのではないかと思います。

自分の存在意義を探し求める

野口1年先輩に錦野旦さんなどのスターがいらしたので、僕もそんなスターを目指してデビューしました。一方、デビューした翌年からいわゆるスカウトが始まって、西城秀樹や郷ひろみがデビューし、アイドルという世界が開かれました。つまり、僕はスター世代の末っ子で、アイドル世代の長男にあたることから、先輩方には随分かわいがっていただき、後輩たちも慕ってくれました。

中村芸能活動の中で、自分の立ち位置について違和感を持つことはありませんでしたか。自分の場合は、恵まれた環境で好きなことをやらせてもらい、大きなプロジェクトも成功しました。でも、その後はそれまでの延長ではなく、もっと新しいこと、もっとオリジナルなことに挑戦をしたくなってしまい、結局会社を飛び出しました。そして、シ ミックを立ち上げることになりました。

野口僕は、知らないうちに気が付けば新御三家と呼ばれるようになり、アイドルの「派手さ」で比べられるようになったのには、随分戸惑いました。自分自身は「リンゴ追分」や「三百六十五歩のマーチ」を作曲した米山正夫先生に小学6年生から師事して、心情(心の情け)を歌うことを受け継いでいたので、アイドルとしての立ち位置は正直、難しかったですね。デビュー前もスクールメイツに入ったりロックバンドをやったり、いろいろと模索したのですが、結局演歌でデビューしました。僕は一人じゃないと駄目なタイプなので(笑)。

中村僕もそうでした。僕は幼稚園に行っていません。入園したのですが、1日で帰ってきて、それ以降登園しませんでした。幼いころから型にはめられると嫌になるところがあるようです。想像するに、野口さんもさまざまなことをされていく中で自分の立ち位置に違和感が生じ、その都度オリジナリティや個性といった「自分らしさ」は何かということを探してこられ たのかなと。

野口誰でもできることは別に自分がやらなくてもいいんじゃないかという気持ちは、確かに子どもの時からありました。小学校の時は算数の点数がいつも75点でした。足し算、引き算、掛け算、割り算の問題がある中で、誰でもできるからと足し算だけは やらなかったので。

中村三つ子の魂百までで、自分にしかできないことをやるという精神が野口さんの人生の軸になっているのですね。

野口ウォークマンが世に出てくる前、「レコードは家で聴くもの」というのが常識でしたが、僕はこれから音楽は外で、しかもライブ音源を聴く時代になるのではないかと思い始めました。それで、ライブをどんどんやってレコーディングするようになったわけです。さらに「(どこでも聴ける)カセットは作るけれど(家でしか聴けない)レコードは作らない」と言って、レコード会社の人を困らせました。会社からは「カセットだけでは売上順位に反映されない」と怒られても、若かったので「順位のために音楽をやるんですか」と返すわけです。いい音楽をいい状態で発展させたい、新しい試みに全員がついてきてくれなくても、少しずつ伸びていけばいいじゃないかと、当時は力説していましたね。

中村既存のシステムから外れたとしても、自分がすべきことを探し求めてこられたのですね。そういった自分の存在意義の探求は、日本が今後生き残っていくためにも重要ですね。周りと同じことをするのではなく、自分がやらなくてはいけないことは何かを追求し、自分が存在していることに何らかの意味や価値を見いだすようになってほしいですね。それが強さの源泉につながっていくのですから。

野口初めてアメリカでレコーディングをした時に、ラスベガスでいろいろなショーを見ました。日本でも開催したいと思い、1976年に京王プラザでのディナーショーを実現しました。日本で初めてだったと思います。アーティストとお客さんが近い距離で、飾られたステージの夢の舞台があっても良いのではないかと思ったのです。想定 外だったのは、お客さんがどういう格好をしてきていいのかわからなったことですね。僕より派手な格好で、まるで文明開化の鹿鳴館を彷彿させる華やかさでした(笑)。

中村僕もいくつかのビジネスを日本で最初に興し、それが自分の生きがいにもなっています。ないものを自分が創り出す、つまり0から1を生み出し、それを10にも100にも拡げること、それは何よりも楽しいことです。野口さんも0から1を創り出すことが好きなのですね。

野口エフェクターボックスも、今は当たり前になっていますが、一つずつの単体だったものを、僕が最初に一枚のべニア板の中に収めました。17歳のころで権利化など考えてもいませんでしたが、もし僕が特許を取得し ていたら、すごかったですね。

ステージは1,000対1でなく、1対1の集合体

中村野口さんは非常にアイデアマンです。ひとつの物事をさまざまな角度から見ていて、常により良い方法、新しい発想でアイデアが生まれているように思います。ご自身が考案された「テイクアウトライブ※」は特許を取得されたと伺いました。テイクアウトライブのお話を聞かせていただけます か。

野口例えば1,000人の観客がいるステージの場合、お客さんは「野口五郎」という一つの同じ情報を共有しているわけですが、僕の側からお客さんを拝見しますと、うつむいて聴いている人、よく笑う人、よく泣く人など、人それぞれです。僕にとってはつまり、『1,000人のお客さん』という一つの情報ではなく、1 対1のお客さん、1,000人からなる集合体なのです。テイクアウトライブは、お客さん一人ひとりにQRコードを用いて情報(デジタルコンテンツ)を送るサービスです。具体的には、お一人ずつ異なるQRコードを用意して、それをお客さんのスマホで読み込んでいただきます。そしてコンサート終了後すぐに、一人ひとりにその日の映像を配信することができます。半年以上待って、編集に編集を重 ねた映像を視聴するのもよいのですが、テイクアウトライブでは、コンサートの興奮が冷めやらぬ帰りの電車の中で、通知が来たらすぐにダウンロードして観ることができます。さらに一人ひとりに送られてくることによって、同じ映像であってもお客さんは「自分だけに送られてきている」と感じることがで きます。僕は「あなたたち」に歌っているのではなく、「あなた」に歌っている、と実感していただけます。

中村集団ではなく個人に配信、それも「あなただけに」を感じさせるもの、すごいイノベーションですね。受け手のことを考えるというのはビジネスの基本でもあります。野口さんの場合は、お客さんを「わくわくさせたい」というサービス精神が根底にあるのだと感じました。

野口おっしゃる通りわくわく感はすごく大事です。テイクアウトライブは拡張性が高く、同じ映像を配信するだけでなく、もっと胸をときめかせる仕掛けを組み込むことも可能です。例えば、1,000人のうち200人は別サーバーにつながって、スペシャルな特典映像などが付いた「当たりコンテンツ」が送られてくるようにすれば、「当たるかも」というわくわく感を提供できますよね。実際にそのシステムを導入した氣志團のライブでは、来場したお客さんの6~7割がテイクアウトライブを購入したそうです。これほど売れるグッズはなかなかないですよ。

中村自分のあるべき姿を追いかけて、その結果として人任せにするのではなくて、自分でいろいろと考えて実行してしまう。ゼロからイチを生み出すだけでなく、イノベーションをおこしてしまうアーティスト。そこに僕は野口五郎を感じます。

野口テイクアウトライブはダウンロードしてくれたお客さんとずっとつ ながることができるので、さまざまなプロモーションにも活用できます。例えば去年と同じ会場でコンサートをすることになっても、通常の告知は一からやり直しです。ところが前年にテイクアウトライブを購入してくれた方のスマホに、「皆さんのところで今年もコンサートすることになりました」とい うプッシュ通知と共に、去年のコンサート映像のダイジェストを送れば、ライブの興奮がよみがえり、チケットの購入につながります。

人生は志半ば

中村野口さんは最初に「やはり大事なことは人生志半ば」とおっしゃっていましたが、僕も同じ考えです。「人生志半ば」だからこそ、いつからでもスタートできる。志半ばで終えたとしても、その想いを受け継ぐ人が出てく ればいいのです。ところが最近は終活などがはやったり、たどりつけるはずのない完成にこだわっている人が多いように思います。

野口僕は「終活」ではなく、終わりに勝つと書いて『終勝(しゅうかつ)』だと 思っています。実はこの商標も持っているのですが、賛同してくださる皆さんにこの言葉をプレゼントしたい。道半ばであったとしても、人生最後の瞬 間に笑えたら最高だと思うんです。

中村先ほどもお名前が上がりましたが、野口さんの親友である西城秀樹さんについてお伺いしてもいいですか。僕自身も親友を亡くしていて、寂しい思いと同時に彼の分まで生きようという思いが強いのですが、野口 さんはいかがでしょうか。

野口彼は本当に唯一無二です。そんな存在を亡くした時の喪失感は、こんなにも深く、いつまでも離れないものかと思いました。変な言い方かもしれませんが、彼は僕のことをすごく愛してくれていました。でも僕は十分にそれを返せなかったという後悔はありますね。いつも僕のことを褒めてくれて、温かく見守ってくれていたのに。今も彼は一緒にいると思っています。二人で歌う時は彼が低音で僕が高音のパートだったんですが、あいつが「外せ、外せ」なんていたずらを言ってきたりしてね。今も歌う時にはそんないたずらをふと感じたり…。その度に僕は「こら、よせ」なんて言いながらやっ ているんです。そういう意味では、ずっと一緒ですよ。

夢さえ持てば何でもできる時代

中村将来を担う若い人に対してメッセージはありますか。

野口一番言いたいことは「皆さんがスタートです」ということです。「僕らはこうだったから、皆さんもこうしなさい」とは言いません。僕らの世代はアナログという素晴らしい匠を知っており、デジタルの時代 にそれをどう活用するか考えられるのは僕らしかいないのかもしれません。一方、デジタルの時代はものすごいスピードで流れていき、全く新しい時代になるでしょうから、僕らがアドバイスすることはないとも思います。「僕らの時はこうだった」とか野暮は言ってはいけないし、アナログ時代と同じように一から作れと言っても意味がないと思います。

中村若いうちだからこそできることってたくさんありますよね。もっと肩の力を抜いて、好きなことをやってみたらいいと思います。苦しんだって、傷ついたっていいじゃない、そのことは無駄にはならないのですから。

野口今は何でも一から作らなくても、土台のうえに何を乗せていくかを発想する時代です。だから「夢だけ持っていれば大丈夫だよ」と言いたいですね。ただ、若い人たちは僕らと思考回路が全く違ってしまい、夢を持つこと自体が難しいのかもしれませんが、夢さえあれば何でもできるから。

中村最初のゴルフの話と同じで、今の人たちはすぐに結果を求めてしまう。野口さんから教わったように、結果を求めるのではなくて、自分は何ができて何をしたいのかを常に考える。その中でいろいろな人と関わったり、さまざまなことをやってみたりすることで夢が出てくるのかなと思いました。今日はお忙しいところありがとうございました。