新型コロナウイルス感染症のパンデミックやロシアによるウクライナ侵攻など、ほんの数年前まではほとんどの人が考えもしなかったことが次々と起こり、世界の情勢は今まさに混迷のさなかにあります。目まぐるしく移ろいゆく現実世界を、私たちはどう生き抜けばよいのでしょうか。 無常をはじめとするさまざまな仏教の教えから現代を生きるヒントを京都・清水寺山内塔頭成就院住職の大西英玄さんに伺いました。



中村
英玄さんは現在、清水寺の執事補というお立場で法務に勤しんでおられますが、まずは生い立ちからお聞かせいただけますか。

大西
清水寺が北法相宗の本山として独立したのが1965年。当時の貫主で「中興の祖」と呼ばれる大西良慶大和尚※1の孫にあたります。とはいえ、生まれたときから仏門に入ることが決められていたわけではなく、小学校はキリスト教系の学校に通ったりもしていました。小学5年生のときに、2人の弟と、現住職の息子と一緒に得度という入門式のような仏縁を預かり、そのときに「英玄」という法名を頂戴しました。

※1 大西良慶(1875~1983) 北法相宗の僧。京都・清水寺の貫主を務め、109歳まで生きた仏教界の大長老。

中村
まさかキリスト教系の学校に通われていたとは。しかし、ご自身の人生に仏教が深く関わってくるだろうなというのは、幼いときから意識していましたか。

大西
そうですね。清水寺は単立寺院と言いまして、他のお寺から独立しており、末寺などもございません。ですので、清水寺の和尚の数は現在だと8人、私にとっていわゆる上司というような立場にあたる方は2、3人しかいませんでした。そういう意味では、先を行かれる方の背中の数は少なかったように思います。ただ、今振り返ると、人生で迷ったときに見るべき方向が定まっていたので、私にとっては逆にわかりやすくてよかったのかもしれません。

人智を超えた何かに導かれるように仏門へ

中村
僕は京都の伝統工芸を支えている若い人たちとも付き合いがあるのですが、彼らの話を聞きますと、みんな家業を継ぐようにと親に強く勧められたというわけではないようです。DJをやってみたり海外に行ってみたり、脇道に逸れつつも、さまざまな世界を見て、いろいろなことを吸収したのちに、自然に戻ってくる。そして新しい視点で家業を継ぎ、どんどん進化させている。とても素晴らしいことだなと思います。そのあたりはいかがでしたか。

大西
私も2年ほど留学を経験しましたが、今思い返しますと、過度に強要されることもなく、大きく脱線しそうなときはその一歩手前で軌道修正してくれたように思います。今からやろうと思ったことを先に親から「やれ」と言われたら子どもがへそを曲げるのと一緒で、私に対しての接し方や使う言葉、そして時にはあえて言葉にしないで私にとって必要な距離感にて見守るようにしてくれていたのかもしれません。


中村
日本では誰もが知る清水寺から海外に出ることで、全く違う視点から見ることができたのですね。外から見ることで、あらためて気づいたことや感じたものはありましたか。

大西
はい、一番は大西良慶和尚の血を継いでいるということが持つ意味ではないでしょうか。良慶和尚が遷化※2されてもう40年ほど経つのですが、今なお多くの人に慕われています。そういうお話を直接お伺いしていると、人智を超えた何かを思い知らされる気がします。
その他にも世の中から清水寺がどのように認識されているのか、どういう存在であるのかを折に触れて目の当たりにしたり、また同じく歴史を継承すべく尽力されている異業種の方々のお心に立ち会う機会に恵まれたり、要は混じり気のない大きなエネルギーを前にすると、自分の中の色気とか恰好つけみたいな欲は勝てなくなるんですね。周りのピュアなエネルギーを拝して、これが自分の務めだと、あるとき水が染み渡るようにスッと腑に落ちた瞬間がありました。その大きなエネルギーは山内に居るだけでは実感できなかったのではと強く思います。

※2 高僧が亡くなること

無常な現実を生きるための仏教の知恵

中村
僕は18歳のときに京都に来て、お寺が好きでいろいろと巡っていましたが、そのうちにサイエンスやビジネスに夢中になって、いつしかお寺で見聞きしたことも忘れてしまっていました。しかし、知らず知らずのうちに仏教に通じるような思想が自分に根付いていて、それが国際社会で渡りあううえでも大きな武器になっていたように感じます。清水寺には修学旅行生など若い方たちも 多く訪れますが、彼らに特に伝えたい仏教の教えにはどのようなものがありますか。

大西
世の中で仏教的な知恵がどれだけ役立つかわかりませんが、私が「ようできた知恵やな」と思うのは「無常」ですね。私たちが感じる幸せや喜びも、多くは苦しみが形を変えた状態です。たとえばおいしいご飯を食べると幸せですが、半日もするとお腹が空きます。同じように、幸せの条件も時間と共に目減りしていくので途中で足し算しなければ不満足に終わってしまいます。それが駄目だということではなく、要するに必ずしんどいことが起こる、ということです。瞬間的な安心はあっても、それは未来永劫続くものではない。

では仏教では何を目指すかというと、苦しいことやしんどいことを転換してちょっとでも前向きになろうと考えます。そういう心のありようを安心と言います。実際には得られない完璧な理想を追い求めるのではなく、無常や安心という現実的な目的をわかりやすく伝えているという点において、今の世の中においてもまだ仏教の存在意義があるような気がします。

それから場所として意識しているのは多様性です。たとえば、理不尽な現実に直面し絶望してしまった人には少しでも前向きになれる場に、忙しく過ごしておられる人には心の安らかさを確認する場であってほしいなど、人の数だけ解釈があるので、多様に見える・感じる清水寺のありようがあってよいと思っています。端的に言えば少しでも勇気、希望、生きがい、自己肯定を実感していただければ嬉しいですね。

中村
スティーブ・ジョブズなど、世界の名だたる人物が京都に来ると感銘を受けて帰ります。それはなぜかというと、仏教が生きるための知恵を授けてくれるからです。ビジネスマンとしても人間としてもすごく寄り添いやすいと感じます。

正義の反対は、他の人の正義。
大事なのは正しくあろうとする姿勢

中村
僕はいつも、いろんな考えがあってよい、議論することが一番大事だと言っているのですが、今はパワハラだと言って議論を避ける人が多く、歯痒く思います。仏教にはその部分があるのではないかと思います。

大西
鎌倉にある円覚寺の横田南嶺という方が、正義の反対は違う人の正義ということをおっしゃっています。正義と悪の単純な対立ではなくて自他の正義同士の衝突だから複雑だと。ただ、自分を正しいと思い込んでしまった時点で正しくなくなってしまうんです。では正しさにおいて私たちができることは何かというと、少しでも正しくあり続けようとする姿勢なんです。お互いのよいところばかり を見せあうのではなく、全員が不完全であることを尊重しあうことで、本当の意味でわかりあうことができるのです。

中村
自分の中の嫌な部分や不完全な部分をまずは受け入れるところから始めて、ではどうすればよいかという現実的な生き方を模索する強さが必要なのですね。みんな違って当たり前なので、僕はもっと多様な意見を聞きたいと思っています。会社の創業者でCEOという立場をしていると組織の中で「意見を言ってくれ」と言ってもなかなか本音が聞けなかったり、逆に僕の意見が絶対だと思われてしまうことがあります。そうではなくて強いチームワークを作り上げていくためにはRespect Each Other(お互いを尊重しあう)」精神で意見を言いあえるようにしたいと日頃から思っています。

自分自身への感度を上げ、人生を全うする

大西
今は情報があふれてすぎていて、なるべくたくさんの情報を網羅して、できるだけ損をしたくないという人が増えています。「ブログによると」「インスタによると」というように、主語が「私」ではなく「情報」になってしまっているような気がしてなりません。もう少し腰を据えて考えたら「私はこう思う「」私はこう感じる」という個性が出てくると思うのですが、なかなかそこに辿り着かない。過度な情報に包まれる中で、多くの人がもう少し敏感であった方がよいことに対して鈍感で、鈍感でよいことに対して過敏になっているのではと危惧しています。
一方、ビジネスの世界では情報というのは武器ですよね。経営者として、情報とどう折りあいをつけながら人間らしい精神性を保っていらっしゃるのでしょうか。

中村
僕は自分の感覚器を大事にしています。人間はしょせん、チンパンジーやボノボ、ゴリラとそれほど変わらない動物です。だからこそ、ここまで生き残ってきた動物としての強さを持っていると思います。そして、人間だけが特別なのではなく、人間も動物だという原点に立ち返ったとき、本質的に重要なものとして浮かび上がってくるのが「移動」だと思うのです。近所の散歩でも旅行でもよいですが、移動することによってさまざまなものをインプットすることができるのです。

僕はこれまでビジネスでもプライベートでもたくさん移動をしてきました。そのことによってたくさんのことを知り、吸収し、育てられてきたと思いますし、どれほどのエネルギーをもらったかわかりません。動物だと足を折ったりすると死にますが、人間は車椅子などを使って移動できるし、寝たきりであっても移動させてもらうことができます。病気を治すだけじゃなく一人ひとりの人生を全うすることに焦点を絞るというのが僕の信念です。僕らは人間である前に動物、「動く」+「物」ですので、たとえ自分でできなくなっても、移動するということは今後も絶対必要だと思っています。

大西
 「動物」「移動」、面白いキーワードですね。自分自身への感度が下がりすぎて、過度な不安や過剰な情報で自分を見失っている方が多いように感じます。自分の強さだけでなく弱さも含めてもっと自分自身を知ることも大切だと思います。自身に向きあうための時間としても移動というのは必要なのかもしれません。

新たな試み、おくすり御守

中村
僕たちはPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)の取り組みとして、個人の投薬や健康の記録をデジタルで管理するharmoというサービスを提供しています。今回、「おくすり御守」でご一緒できたのは本当に嬉しいことでした。

大西
こちらこそとてもありがたかったです。私自身、清水寺の将来を担う者としてこれまである種の気負いがあったのですが、周りを見渡せば御社のように、人のため、社会のためを想うお心をお持ちの方々がたくさんおられて、お寺が何もかもやらなくて大丈夫なのだと教えていただいたような気がしています。ご縁がつながり、おくすり御守のような機会をいただき、自分も当事者の一人ですが、良き縁が熟していくプロセスにも胸を打たれました。

中村
お年寄りの方にどうやってharmoを受け入れていただくかを考えていたときに、御守を見てピンときました。御守には心がこもっているから、無碍にするとバチが当たるような気がして、捨てることができないんです。だから、御守にして持っていただければ、心が伝わると思いました。デジタル革命などにより合理性ばかりが注目されがちですが、僕は全く違う観点で、皆さんの想いを御守という形で持ってもらい、支えあうのがよいと思ったんです。この日本の御守文化は素晴らしいと思っています。

大西
人間はしんどいときや不安なときに視野が狭くなってしまうことがあります。平 時なら簡単に解決したり見つかったりしやすいことも、有事のときにはどうしようと慌ててしまい、なかなか見つかりにくいことがある。何も信心を強く日々暮らしてくださいということではないのです。人智を超えた働きを日々全肯定しなくてもよいですが、全否定する必要もなく、ただ平時から時折でよいので心の拠り所のようなものを再確認していただければよいのではと思います。常に手元に置いておける御守は、そういう意味でピッタリですよね。

中村
仏教はこれまで最先端を取り入れ続けてきました。今回のおくすり御守が一つのきっかけになってご一緒に健やかな世の中を作れたらと思います。

大西
いつの時代も必要とされる場所としてあり続けた結果が歴史になっていきますので、文化遺産としてゴールテープを切ってしまったら古びていくだけになってしまいます。外からいろいろな息吹を注いでいただき、歴史を残しつつ日々進化し続けるためには、私たち自身も学ばせていただくことが多いです。

中村
英玄さんはまだまだお若いので、これからの時代にますます重要になってくる仏教の知恵を、世界中の人たちが集う清水寺という場所から新しい形で発信していけるのではと期待しております。
本日はありがとうございました。





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