これまでのヘルスケアシステムは医療や薬を供給する側の発想に基づいて構築されてきました。しかしながら新型コロナウイルスの流行によって予防や治療などヘルスケアに対する意識が変わり、ヘルスケアシステムももっと受け手に寄り添い、日常生活の中に溶け込むものへと転換が求められています。
受け手の視点に立った新たなヘルスケアシステムの枠組みづくりには、何が必要でしょうか。日本のゲームが世界を牽引するのを陰で支えた石田尚人さんに、ソフトの力がヘルスケアシステムにどのような変革をもたらすか、中村CEOが伺いました。

※この対談は2020年7月6日に行われたものです。



スーパーファミコンの音に関する一連の流れを担当

中村今回は、家庭用ゲーム機の黎明期から開発に携わり、その海外進出を支えた石田さんにお越しいただきました。当時は僕らの世代からするとゲームなんて所詮遊びという感覚でしたが、予想に反して世界に進出して大きな成功を収めました。ソニーのウォークマンもほぼ同時期に世界で成功し、家で聴くものだった音楽をいつでも、どこでも、手軽に音楽を屋外へ持ち出して楽しむという文化を創り上げました。
日本の強みというとモノづくりなどハード面に目がいきがちですが、人々の行動変容を促すこうしたソフトのパワーも抜きんでています。石田さんが就職された当時のゲーム業界はどのようなものでしたか。

石田私が任天堂に就職した1988年当時は、ファミリーコンピュータ(通称ファミコン)の後期でそろそろ次のマシンに移行しようという時期でした。私が九州大学で音響物理を学んでいたこともあり、入社後すぐにスーパーファミコンの音響設計を担当することになりました。16ビットのマシンになることで、表現力が爆発的に、カンブリア紀のように広がるという時期でした。当時はまだ小さな会社で一人何役もやるのがふつうでした。
そこでゲーム機内蔵のシンセサイザーの仕様設計から作成をし、チップも作って、回路を組むところまで、音に関係する設計を一連の流れで担当させてもらいました。参考にすべき前例はないので、自分で調べたり、いろいろなな人に聞きまくったり、ともかく出来る範囲で最高のものを作るという気持ちでした。新入社員で他の会社は知らなかったので、それが当然だと思っていました。

中村最初から海外進出という意識はありましたか。

石田当時、海外で日本のビデオゲームはメーカーにかかわらず、『 NINTENDO 』と呼ばれていたくらいですので、ワールドワイドの意識というのはもちろん最初からありました。ただ海外向けだからといって迎合しなかったのがよかったと思います。自分たちが面白いものは間違いなくみんなが賛同すると信じ、まずは自分たちが一番面白いものを作るということを、ずっとぶれずにやっていた会社でした。


面白いものは「机の下」で生まれる

中村今日はソニー時代に電子お薬手帳「harmo(ハルモ)」※1を考案し、現在CMIC Tech Lab 所長の福士岳歩さんにも来てもらっています。harmoを開発された経緯を教えてください。

福士harmo の開発は、私自身が体調を崩し、たくさんの薬を処方されたときに、何の薬かわからず、飲み方を間違えてしまったりして、簡単に調剤データを管理できないかと思ったのがきっかけです。ソニーが開発したFeliCa 技術を応用すれば、全く新しい調剤データ管理ができるのではないかとひらめきました。会社から与えられた業務ではなかったのですが。

※1 電子お薬手帳サービス harmo(ハルモ)
非接触ICカード技術FeliCaを利用した電子お薬手帳サービス harmoは、患者さま自身で服薬情報を簡単・確実に一元管理でき、それを医療関係者が共有し活用する、電子お薬手帳を基盤とした医療情報連携システムです。
https://www.harmo.biz/

中村業務外の研究開発を会社は認めてくれたのでしょうか。

福士表向きは認められていませんが、空き時間を使って業務外の研究をやるのは当たり前という文化で、「机の下」なんて呼ばれていました。

石田任天堂も「あれをやりなさい」「これをやりなさい」というのがなく、ゲームのリリース計画を立てて、それを財務計画に反映してなど一切ない会社でした。まずは有志で始め、何となく形になったら部長に見せて判断を仰ぎます。そこでGOサインが出たらようやく仕事として取り組み始め、最終的には社長が商品化を決める。商品化までこぎつけるのは100 本のうち1本あるかという世界ですから、認めてもらえるものを作らなければと、みんなで知恵を絞るわけです。

中村コロナ禍でリモートワークが定着しつつある今、会社を超えた交流から新しいものが生まれる一方で、みんなで集まって何かしようといった気持ちや機会が失われることを、僕はすごく危惧しています。皆で集まっ て知恵を出しながら楽しく仕事できる場所も非常に大事だと思います。



「迷わない、悩まない、楽しい」の3点セット

中村僕らがharmoの次の一手を考えあぐねていたときに、石田さんに相談しましたよね。harmoを見たときにどのような印象をもたれましたか?


石田ちょっと固い印象を受けました。医療に関連するものなので、あまりふざけることはもちろんないのでしょうが、毎日見るものではないなという印象をもったところがあります。逆にいうと、毎日見るものにすること で、いざというときの薬の管理も漏れがなくなるのではないでしょうか。
次の段階があるとしたら、全く薬に関係のないときに、ついついのぞいてしまうアプリという位置づけにしたら面白いかな、と思いました。

中村シミックという製薬企業やヘルスケアにかかわっているプロフェッショナルが7,000人集まっている会社では、従来の流れからやるカルチャーが染みついていて、さまざまな規制を遵守し、仕事を考えることが当たり前になっている。一方、患者さんの視点に立ったモノづくりを考えるときには、何か違うのではないかという思いがありました。そのとき、石田さんに「ユーザーがharmoから離れられなくすればいいのでは」とアドバイスいただいて、頭の中の霧が晴れたような思いでした。

石田ゲームはとにかく「迷わせない」、「悩ませない」、「楽しくてやめられない」の3点セットです。ゲームは余暇でやるものなので、この3つがないと逃げられてしまいます。これらの要素は、全てのアプリにも入れてい い発想だと思いますね。

福士 最近は無料のゲームが多いので、よりハードルが上がっています。ちょっとわからなかったらすぐに削除されてしまうので、石田さんがおっしゃる通り、迷う余地のない導線で、やり始めたらやめられない中毒性が 必要だと思います。

中村harmoは単なるお薬手帳を越えて、パーソナルヘルスレコード※2 を活用してさまざまな展開が期待できるツールです。しかし一方で、ユーザーの視点に立つと、むしろ自分の好きなコンテンツを楽しめたり、日常生活をもっと面白くするツールにする必要があると思っています。このあたりについてはいかがでしょうか。

※2 パーソナルヘルスレコード(PHR):患者の医療・介護・健康データを収集し、一元的に保存する仕組み。

福士身近なところからファンを作っていくことが大事だと思います。harmoにも使われている非接触ICカード、たとえばSuicaなどは、タッチすると音が出るのですが、子どもがその音を面白がって、何回もタッチしている場面に遭遇したことがありました。そこで「タッチしたいから使う」仕組みを提案したことがあります。当時は「売り上げにつながらない」と一蹴されましたが(笑)。

中村僕は大賛成ですけどね。感覚的な楽しさは大事です。そういっ た部分でファンを作りながら展開していくことが、今の日本の閉塞感を打開する鍵になるでしょう。



受け手の視点に立った健康管理の枠組みづくり

石田最近、医療・介護関係の仕事が増えてきたのですが、わりとIT化が遅れていることに気づきました。ほとんどの人は、いざ病気になってからお医者さんにかかりますが、もし日頃の生活からしっかりケアすることが できれば、普段のデータと比較してそのギャップだけを見ればすむんじゃないかと思っています。

中村そこはまさに今僕たちが興味をもっているところです。今は特にコロナもあって、病院に行く頻度は最低限になっていますし、自分でどう健康管理するかが非常に重要になってきています。ゲーム開発から学べることが大いにあると思うのですが、そのあたりはいかがでしょう。

石田最近、ゲーム業界では「放置」というキーワードが流行っています。これまでゲームは根を詰めてやるものだったのですが、放置している時間に何かが起こっていて、次にやるときにそれを確認するというゲームです。harmoでもそういう仕組みを作ることができると、面白くなるかもしれません。「Pokémon GO」なんかも参考になりますね。歩くこと自体がゲームになるように作れば、皆さん歩くようになりますよ。スマホは歩数計の機能があるので、後はそれをどう面白くするかですね。

福士石田さんのお話を伺って、昔「バーコードバトラー※3」からヒントを得て、「お薬手帳バトラー」というゲームを作ろうとしたことを思い出しました。バーコードバトラーはバーコードを読み取らせると、その情報からキャラクターが生成されて、そのキャラクター同士を戦わせるゲームなんですが、その薬バージョンができないかなと。お互いに今飲んでいる薬同士を戦わせるみたいなものがあると、自分は今どんな薬を飲んでいるのか認識するようになりますし、新しく薬をもらったときには必ず登録するので、すごくいいんじゃないかと。ふざけるなと怒られちゃったんですけど(笑)。

※3 バーコードバトラー:1991年にエポック社から発売された電子ゲーム機。

石田いや、それは間違いなく面白いです。薬を擬人化してもいいと思います。

中村これまでは医療を供給する側からの発想ばかりで、一人ひとりの生活の中にお薬やヘルスケアの管理システムが溶け込んで、存分に使ってもらうという視点が欠けていました。そのあたりのアイデアはありますか。

福士私もそうでしたが、一般の方はなかなか健康に興味をもたないと思います。面白くないことは普通しないので、無理せず楽しいことをやっている状態が実は健康管理につながっているという仕掛けが必要だと思います。

石田薬局の機能を拡充させて、目的地になるとよいのではと思います。今は薬をもらいに行くだけの場所ですが、自分に有益な情報がもらえたり、何か新しいものに出会えたりといった機能があれば、地域の拠点になります。また、薬局が楽しい場所になると、医療に対する敷居がどんどん低くなって、健康に対する意識も変わってくるのではないでしょうか。

中村コロナの影響で、医療システムは今岐路に立っています。今後は新たな医療・健康に関するエコシステムを構築していく必要がありますが、その新たな枠組みの中での薬局の位置づけは、ご指摘の通り変わってくると思います。しかし、新たな機能をもたせるためにスタッフを教育するのは現実的には厳しいので、そこをharmoで支援できればいいですよね。

単なるお薬手帳を越えた新たな価値創造へ

中村薬のラベルは一般の人にはわかりにくいという問題もあります。列挙された副作用を見ても実感がわきませんよね。たとえば、その薬を飲む人同士の交流サイトがあれば、みんなで支え合って、副作用もマネジメントしながら最適化して使うことができるようになるのではと思っています。

石田自分一人でこの薬を飲んでいると思うと不安に感じますが、同じ薬を飲んでいる人がいることがわかるだけで勇気づけられると思います。たとえば、匿名で薬を飲んだ記録を単に公開するだけでも、同じ薬を忘れず飲んでいる人の記録を見て、自分も頑張ろうと思えるんじゃないでしょうか。

福士私たちもまさに同じことを考えています。たとえば「今この薬を何千人のharmo ユーザーが飲んでいます」と出てくるだけで、「他にもこんなに飲んでいる人がいるんだ」と仲間意識も生まれますし、単なる数字とはいえ、それがあるかないかで服薬継続への意欲が変わると思います。

中村ユーザー同士の交流を通じて、最適な飲み方などもわかってくるかもしれません。たとえば食後に飲む薬の場合、「食直後」と「食後」では飲むタイミングは違います。食直後だと食後5 分以内、食後だと食事が終ってすぐから30 分以内までという意味がありますが、一般の方は区別できていないかもしれません。年齢が上がってくると服用する薬も多く なり、食前と食後で分けることは面倒くさいから一度にまとめて飲んでしまうということもあるかもしれませんが、本来は最適な飲み方があるので、そういう情報交換ができたら素晴らしいと思います。他にも、もしかしたらある薬を飲んでいる人たちはコロナにかかっていないとか、同じ薬を何年飲み続けたらこうなったなどのデータが蓄積することで思わぬ発見があるかもしれません。

石田災害時などに、どこにどの薬があるかが分かることも重要だと思います。あの地区、このユーザーグループのところには、少なくともこの薬がまだあるぞ。緊急性の高い人にはそっちから薬を回そうといったこともできるかもしれません。 その薬の登録と使用状況をしっかりと察知できれば、そういう役割も果たせますね。

中村その薬がどこにあって、有効期限はどうなのかなど 把握できると全体の生産調整もできたりして、革命的なサプライチェーンになる可能性も秘めていますね。



ポストコロナ社会、その人らしい人生を全うするために

中村 コロナによって既存の価値観が大きく揺るがされていますが、今後、世の中はどう変わっていくと思われますか。

石田より個を発信する時代になると思います。たとえば今回のテーマだと、薬を開発する人は相当な薬オタクの側面もあると思うんです。今までは効能の部分しか情報として発信されなかったですが、その薬への思いや 開発のエピソードなど、どんどん語ってもらえばいいと思います。それはユーザーが楽しめるコンテンツになるので、harmo の中にもそうしたコーナーがあってもいいかもしれません。

福士今回、コロナで人に会えない生活が続いて、人と人とのつながりの大事さを再認識する機会になりました。harmoもそういった人のつながりを支援できるツールになれればと思っています。たとえば、おじいちゃんがきちっと薬を毎日飲んだら孫にメッセージが届くとか、ツールを介して心が通い合うようなものにしていきたいと感じました。

中村コロナ禍で分かったことは、病気を治すだけではなく、一人ひとりが生きがいをもって人生を全うすることの大事さです。harmoはそれを支援する重要なツールになると思います。そしてそこからさらに一歩進んで、面白くてつい触っているうちに、自然とヘルスケアリテラシーが上がるようなツールにしたいと思っています。そのためにはどうすべきか、みんなで知恵を絞りながら進めたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。本日はありがとうございました。







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