日本経済の停滞が長期化し、不況の中で育った若い人たちの多くは、将来の生活が現在よりも豊かになる見通しが立たずに不安を感じて、将来に希望を抱きにくい傾向があるといわれます。先行きが不透明な現代社会でも、活力を持って今を生き抜くためにはどうすればよいでしょうか。今回は金融業界で要職を歴任された清水喜彦さんをお迎えして、これまでの歩みや現在のご興味、未来への展望などをお伺いし、人生や社会をよりよくするためのヒントを探ります。



中村
僕と清水さんは同郷で、小学校から高校まで同じ学校に通った旧知の仲です。そのご縁で昔からいろいろとお世話になっています。

清水
僕は中村さんの妹さんと同じ学年で、学生時代から中村さんのことは存じ上げていました。18歳で大学進学のため山梨の地を離れたのですが、今の自分をつくったのは故郷で過ごした日々だと思えます。

自活しながら学んだ大学時代。銀行員を選んだ意外な理由

中村
大学時代はどのように過ごされましたか。

清水
自活しなければならなかったため、4年間ずっと塾の講師と家庭教師をしていました。3年生のときには自分で塾を開くまでになり、「やればできる」と自信を深めました。その頃、卒業論文のテーマを考え始め、企業買収の意思決定について書こうと決めました。

中村
まだM&Aという言葉もなかった時代に、よく考えられましたね。教授の反応はいかがでしたか。

清水
 「君は乗っ取り屋になる気か」と言われましたね(笑)。「そうじゃなくて、時間を買うという意味で企業買収なのです」と言い返し、先生とは随分議論しました。最終的には「そこまで言うなら書きなさい」と認めていただくことができました。その先生には、人生を左右する金言もいただきました。当時、僕は商社に就職しようと思っていたのですが、「商社は君みたいな人ばかりだよ。銀行には君のようなタイプの人はいないから、成功するか失敗するかどっちかだ」と勧めていただきました。周りの諸先輩方を見ると、まさに先生のおっしゃる通りで。これは甲州商人 の血なのでしょうか。一か八かの勝負に惹かれて、銀行への就職を選びました。

もっとも、銀行の面接時に見込みがあると思っていただけたのか、リクルーターの宿沢さん(元ラグビー日本代表選手、元ラグビー日本代表監督)から電話をいただき再び銀行を訪れたのですが、そこでなんと3時間も待たされたのです。それで、その後にお会いした方にイライラのまま本音をぶつけてしまったのですが、それがなぜか気に入ってもらえたようです。実はその方は当時の取締役人事部長で(笑)、宿沢さんからは厳しく叱られたうえに、その場でヘッドロックをされた状態で採用が決まったというオチがあったんですよ。

中堅中小企業の成長のために奔走

清水
事業体が骨や筋肉であれば、銀行はそこに血液を送る血管です。血管だけでは成立しませんが、骨や筋肉が大きくなるためには、欠かすことができない存在です。では、血管に流すべきものは何かというと、一つはお金。そしてもう一つは情報です。その二つで中堅中小企業のお手伝いがしたいと思って、ずっとやってきました。

中村
企業の中でもなぜ中小企業なのでしょう。

清水
日本の会社のほとんどは中小企業で、長く続いている会社も多いのが特徴です。日本は200年以上続いている企業が世界で一番多い国です。京都では1000年以上続いている会社がいくつもあります。そうした企業が時代に合わせて成長していくためには、それぞれが長年培ってきた技術や素材を違うステージに切り替えていく必要があります。そのために、お金と情報の両面からサポートできればと思いました。

中村
清水さんは銀行・証券会社で要職を務められてきたわけですが、そこまで上り詰めた背景には何があったと思いますか。当時、「鬼軍曹」という愛称で呼ばれていたそうですね(笑)。

清水
よくご存じですね(笑)。資本主義経済下では、業界1位、もしくは1位と同等に戦える組織しか生き残れません。最低限、圧倒的な2位を目指し、「攻め続けろ」という姿勢でがむしゃらに戦ってきました。前線に出る戦士よりも後方部隊が多いようでは、勝てる組織はつくれません。そこで、かつての金融の営業スタイルを取り戻すべく、戦士を大幅に増員し、対面営業を強化しました。もちろん、ガバナンスやコンプライアンスの重要性は言うまでもありません。

僕の現役時代は、石油危機やバブル崩壊、リーマンショックなど、困難な局面が続きました。そのとき僕は、全権限を委ねてほしいと頭取に直接訴えたのです。自分が一番、現場に詳しいと自負していました。審査は審査部が担当するべきであり、どこに貸し出してよいかの判断は審査部の権限ですが、限られたリソースをどう配分するかについては、僕以外にふさわしい人材はいないという自信があったからです。すると頭取は「わかった。」と僕に任せてくれました。

 高度経済成長期のように一本調子で上がっていく時代であれば、僕みたいな血の気が多く、アクが強いタイプは扱いにくいでしょうが、時代の要請に合っていたと思います。間違いなく言えるのは、人に恵まれたことです。得意な仕事を思いきりやらせてくださる方々に巡り会えたことが大きかったと思います。

中村
大胆な改革を進めてこられたことで業界の地位向上を図ったのですね。仕事の面では厳しい顔もお持ちだと思いますが、清水さんはどこか愛嬌があり憎めない人柄だと感じています。

清水
母の影響がとても大きいと感じます。母は非常にネアカでポジティブな性格でした。高校2年生のときに父が倒れ、4カ月間意識が戻らなかったときでも「何とかなる」と常に前向きでした。また、とても寛大で、人に対して差別なく接する人でした。これまで僕は銀行や証券会社で働く中で、常に母の影響を意識してきました。ポジティブで前向きに、そして一所懸命に働くことを心掛けています。リーダーとして率先して努力し、全体最適を意識すること。また、現実に向き合って解決法を考えるということを意識し、これらの価値観を後に続く人たちにも伝えてきたつもりです。

歴史に見る情報収集の重要性

中村
先ほど情報の重要性についてお話しされましたが、僕自身、清水さんの情報収集力は並大抵ではないと感じます。

清水
情報がいかに大事かということを物語るエピソードとして、僕がいつも挙げさせてもらうのが風林火山です。風林火山は「其疾如風(その疾きこと風のごとく)、其徐如林(その徐なること林のごとく)、侵掠如火(侵掠すること火のごとく)、不動如山(動かざるこ と山のごとし)」として知られていますが、これで終わりではなく、「難知如陰(知りがたきこと陰のごとく)、動如雷霆(動くこと雷霆のごとし)」と続きます。 
「難知如陰」の「陰」とは何を指すのか、ずっとわからなかったんですが、社会人になってから「情報」のことだと確信しました。武田信玄は1548年の上田原の戦いで勝利を確信し、宴を行っていたところを村上義清の反撃にあい、家中の中心であった板垣信方と甘利虎泰を失いました。武田信玄はこれを機に、風林火山の軍旗を立て始めたと言われています。私見ですが、情報収集を怠ったがために手痛い敗戦を喫した反省が込められているのだと思います。 それと僕は常々、情報は3 点測量だと言っています。1カ所から入った情報を鵜呑みにすることなく、多角的な情報収集が不可欠です。

権力とは、やりたいことをやるために必要なもの

中村
 銀行員としての経験を積まれて昇進していく中で、それまで積み上げた経験や知識が有機的なつながりを持ち始め、成功事例を横展開できると感じた瞬間があったのではと思うのですが、それはいつ頃でしたか。

清水
課長になってからですね。それまではノルマをこなすので精一杯でしたが、部下ができて、指揮する立場になってからは、見えてくる景色がガラッと変わりました。さらにもう一段ステージが上がったと感じたのは、支店長になったときです。自分が一国一城のあるじだという自覚が芽生えて、意識が変わりました。今の若い方は、昇進に興味のない人も多いようですが、やりたいことをやるためには権力が必要です。僕は権力を因数分解すると、権限・権威・見識になると思います。権限は「ここまではやってもいい」と定められたもの、権威は「あの人が言うなら」と納得してもらえるもの、そしてその根底を支えるのが見識です。

中村
そうですね。自分の立ち位置によってこれまで見えてなかった景色が見えてくる。そして今までは気づかなかった課題に気づけたり、思いもしなかったアイデアが浮かんだりするようになる瞬間があります。決して一人では見ることのできない景色。自身がこの新たなステージに進むために必要なのは、やはり人間的魅力があるかどうか。仕事に対して正々堂々と向き合う姿勢と情熱をきちんと示すこと、そしてチャーミングであることだと思っています。

好きなことを見つけ、それに打ち込む

中村
これまで激動の人生を送られてきた清水さんですが、今後の夢についてはいかがですか。

清水
やはり、故郷や自分の好きな人たち、お世話になった人たちに恩義を返したいです。具体的には、山梨県や早稲田大学、もちろん僕を育ててくれた銀行・証券にも。もっと言うと、僕にこれだけヤンチャをさせてくれた社会にも恩返ししたいと考えています。

中村
海外では日本の「生きがい(IKIGAI)」という言葉が話題です。自分が好きなこと、得意なこと、お金をもらえること、社会が必要とすること、それらがすべて重なるところにIKIGAIはあると言われています。充実した人生を過ごしていくための元気や活力を見出す源となるものだと考えています。清水さんにとって、IKIGAIとは何でしょうか。

清水
好きなこと、自分のやりたいことができること。それが一番のIKIGAI だし、その結果が世のため、ふるさとのためになれば、こんなに幸せなことはないですね。

中村
最後に、次世代を担う若い世代へのメッセージをお願いします。

清水
まずは、自分の好きなもの、興味のあるものをできるだけ早く見つけることが重要です。嫌なことは長続きしません。中村さんがシミックを創業し、ここまでにしてこられたことや、キース・ヘリングの作品をこれだけ情熱をかけて集められるのは、好きだからですよね。何だって同じです。好きというエネルギーは、情報を集める種にもなります。情報の対価は情報しかありえないので、情報発信できる人間でなければ情報も得られません。

二つ目はコミュニケーション能力。今の世界は高度に複雑化していて、われわれ凡人は一人で一から十までできませんから、チームワークが必須です。しかし一方で、付和雷同では困ります。和して同ぜず、色が鮮やかなメンバーが力を発揮できるようにするためのコミュニケーション能力は絶対必要です。 三つ目は、ありがとう、ごめんなさいと言えること。当たり前ですが、最近これが言えない人が多い印象です。

中村
ビジネスで清水さんが重視されている価値観とも共通項が多そうですね。今日はありがとうございました。





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